症例から見る対人恐怖症

かつてニーチェという哲学者がいて、こんにちでは対人恐怖症と診断されてて、対人緊張が強すぎて人前に出ると超ハイテンションになっちゃうタイプなんだけど。

愛想が過剰に良いから優しいのかと思いきや、感受性の鋭さが容易に怒りに転化しちゃうので、表面的な礼儀は尽くしすぎるくらい尽くしてても、内心は外に向かう攻撃性で一杯になってて、考えてる事は裏腹だから、著作中では豹変して、自分以外の者をことごとく否定しまくる、というふうに、超攻撃的な面を表面化させる。

サイコパスに受けがいいのはニーチェのそういう裏表のある性格だ。

表面的には魅力的でも深い所では優しい気持ちを何も感じてないからこそ、一見優しそうに見えるという見せ掛けに騙されて、優しさに包まれに行こうとして近づいてった者は、そこに優しさがないことを知って幻滅する、という意味では、ニーチェ自身も、サイコパスとは診断されてなくても、当てはまる項目はあると思う。

対人恐怖症患者は「過敏にして鈍感」という二面性があると言われるけど、おのれの弱さを恥じて対人恐怖を克服しなきゃと思って暴力団事務所に殴り込みに行くような恐れ知らずである、というふうに、人として欠如してるところがあるのが対人恐怖症だ。

現在目の前にいる相手に対しては過剰反応を示すけど相手が視界から去った途端にきれいさっぱり忘れてしまい過去を顧慮できないためにまるで猿であるかのような印象を与える対人恐怖症患者もいる。

対人恐怖症の重症化したものが分裂病だと言われるのは過敏さと鈍感さに分裂してるのが分裂病患者だからで、過去が過去とならないという意味で歴史性がなく、体験が体験として蓄積されていかないという意味で学習能力がない。

長く行動や起居を共にしてても情が沸くとか愛着が形成されるとかということがないので社会との絆を結びようがないのである。